発病前は自分の体のこと大嫌いだったけど実はとても頑張ってくれる頼もしいヤツだった

DAY254

こんにちは、ひららんです。

白血病になる前、私は自分の体が大嫌いでした。

まず体型。
もともとスリムよりはふくよかに近かったんですが、結婚・出産を経てから人生の半分以上、LL~3Lサイズでした。モデルさんなんて言わない、せめて標準体重になりたいとずっと思い続けるも食べ続け、その割りに動かないのでしっかり維持してきました。

次に、顔。
これはもう遺伝子の問題なのでどうしようもないんですが、私は完全に父に似ました。女優のような母に似た妹のモテときたら。恨んでるわけではないですが、選べるなら母に似た顔が良かった(笑)。大好きなおばあちゃんにもそっくりだし(つまり母方の祖母も美人)。

でも自分がフィラデルフィア陽性急性リンパ性白血病になって治療の日々を送ることになったとき、私の体はとても頑張ってくれたのでした。

寛解導入療法の後、1回目の抗がん剤治療として強化地固め療法を受けましたが、このような治療をすると白血球が極端に減った後でまた戻ってきます。できるだけ早く白血球を増やすため、点滴をしたり毎日皮下注射をしたり。これがまた痛いのなんの。

看護師さんから、皮下注射は「さっさと済ませたい派」と「ゆっくり打ってもらいたい派」がいると聞いたんですが、私はゆっくり打ってもらうと痛みがましだったのでいつも30秒くらいかけて打ってもらってました。ペースを調整してくれた看護師さんには感謝です。

で、白血球の戻りが激しい時期がありました。一晩でものすごく増えて、腰痛がきつくて痛み止めを処方してもらったほど。ドクターは「すごいオーバーシュートでしたね」って感心されていました。

そのとき私自身は「あーもう痛いししんどいし早く何とかなってくれよ」としか思っていなかったんですが、友人が「体が頑張ってくれたんだね」と言ってくれたとき、目から鱗が落ちました。

私の造血幹細胞。

当時はもうフィラデルフィア染色体異常があって、数ヶ月後の骨髄移植を受けるときにはこの世から消えることが決まっていた細胞たち。今はもういなくなってしまった細胞たち。

それが、異常を抱えながらこんなに頑張ってくれたんだ…。

そう思ったとき、何だか涙があふれてきて、これまで大嫌いだった自分の体だけど感謝の気持ちでいっぱいになりました。

そして骨髄移植のときも、予想通り口内はは粘膜障害で大惨事でしたが、口腔ケアをビシバシ指導してくださった歯科衛生士さんが「歯並びが良かったから傷が最低限で済んだのね~」とおっしゃたんです。

父譲りの頑丈な、歯並びのいい歯。

こんなところにも恵まれていたんだなと、父に感謝しました(遅まきながら)。

何が幸いするか、わからないものですね。

血管の見つかりにくさだけはどうにもならないけど、そしてそんな人間が血液疾患を患ったのは何とも皮肉だけど、これからも採血する方に頑張っていただくということで。

全く手入れをしていないのに毎年花を咲かせてくれる、わが家のミニバラ。
今年も楽しませてくれるようです。

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