千羽鶴のこと

DAY570

こんにちは、ひららんです。

「千羽鶴」といえば被災地に送るなと言われて久しいアイテムですが、今日は私がもらって心底嬉しかった千羽鶴のお話をしたいと思います。


千羽鶴の是非

度重なる震災で、被災地に千羽鶴を送ることについて何度も話題に上ったと思います。

「被災地に千羽鶴はやめるべき」議論が西日本豪雨で再燃 熊本地震で現場はどうだったか、熊本市に聞く

千羽鶴といえば、広島で被爆した佐々木禎子さん(中学校の英語の教科書にも長年取り上げられていたほど)、彼女のエピソードを知らない人はいないんじゃないかと思います。って当たり前のことを言っちゃって顔から火が出そうですがそれはおいといて。

私が子供の頃から既に、クラスの誰かが大病をしたとか大けがをしたとか、そんなときには「みんなで千羽鶴を折って贈ろう!」というアクションは結構ありました。別にそれを不自然なことだとも思わず、「○○ちゃん、早く治ってほしいな」という気持ちで折ったものです。当時は今と違って超ぶきっちょでヨレヨレの鶴しか生産できませんでしたが。

でも、やはり被災地に必要なのはまずお水と食べ物、衣類、そして現金だろうと思うので、もし今自分が被災地に千羽鶴を贈るか?と聞かれたら「無理」と答えると思います。

入院患者さんへのお見舞いにも、場所を取るとか埃がたまるとか切ない理由で敬遠されることもあると聞きます。

でも、私はもらってしまいました。

心から感激して勇気をもらえる千羽鶴を。

不安だった本入院前の日々

2017年の初夏(1発目の変換で書架だってw)、最後の化学療法が終わってから骨髄移植で入院するまで、実は2カ月ほど間が空いたんです。その間は自宅で薬を飲みながら待つ日々でした。途中で移植を受ける岡大病院にオリエンテーション入院(通称オリ入)をして、そこで「盲腸取るべし」になって急遽盲腸を取る手術を別の病院で受けたりして、白血病以外にもいろいろイベントの多い時期でした。

でも常に不安はありました。やがて来る、すごくしんどい(と聞いている)治療の日々。果たして自分は乗り越えて帰ってこられるだろうか。どれくらいしんどいんだろう、もうしんどい期間は冬眠させてくれないかなと思うくらい不安でした。

部屋が暑いと発熱してしまうため冷房をガンガンに効かせ、体力に余裕があればゲーム(スプラトゥーン2)をしたり、HuluやNetflixで動画を観たりするのが日課でした。

どれくらい不安だったか表現するのは難しいけれど、お産のとき「今からでも帝王切開に切り替えてくれー!!」と思うくらいのヘタレではありました。常に不安はつきまとっていて、自分が病人であるということを忘れる瞬間はありませんでした。

ですが、「ドラムライン」と「カルテット!人生のオペラハウス」を見たときはストーリーにのめり込んで、見終わってから「あ、今自分が病人だって忘れてた」と気づいたほど楽しむことができました。要はそれだけ24時間不安と隣り合わせだったということですね。

気晴らしに、これからお世話になる先生方と化学療法でお世話になった先生の写真をプリントしたりもしてました(これは入院後、部屋の壁に貼っていたんですがほぼ全ての看護師さんや先生が食いついてこられたので驚いた)。

千羽鶴来る

そんなある日。

中学からの親友であるNさんから、何やら荷物が届きます。

彼女とは10年以上会っていなくて、私が白血病になった後、たまたまお嬢さんの予定と私の盲腸手術の入院予定が重なったので病院までお見舞いに来てくれて、ついでに全身麻酔の説明まで一緒に聞いてくれた仲です(笑)。手術前日で緊張していたから二重に救われました。

で、そのときに「何か送るよ」とかいう話は一切出なかったので、届いたときも「なんだろ?」とサクサクッと開けたのですが

いました、千羽鶴が。

Nさんがほぼ一人で折った(お嬢さんも手伝ってくれたらしい)、この鶴の一羽一羽がひららんちゃんの苦しみを持っていってくれるよ、退院したら処分してねというメッセージとともに。

もうね、開封して涙腺崩壊

だって千羽鶴だよ?1日1枚折ったら1000日かかるんだよ?それを私の骨髄移植に間に合うように、ほぼ一人で用意してくれたんだと思うと…。

それからしばらく、千羽鶴を抱きかかえて号泣していました。

そして8月末、予定通り大学病院に入院することになりましたが、もちろん一緒に連れて行きました。オリ入で部屋の様子も分かっていたから、どこにセットするかも決めていました。

私にとって一生忘れられない贈り物です。だから、このブログの固定記事の画像はあれしかないんです。

Nさん、ありがとう(やっと書けた…!)。

今度会うときを楽しみにしてるからね!

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