大切なものを見失わないために病気になったのかもしれない

こんにちは、ひららんです。

大げさかもしれないけど、去年の1月16日に病名を告知されたとき、本当は自分はその日に死ぬ運命だったんだと思っています。

そこを、神様から「まだできることがあるかもしれないよ」ってボーナスステージを貰ったのではないかと。

発病当時、私は仕事でてんてこ舞いな日々を送っていました。もともと忙しくしているほうが好きなので依頼されるままに生徒さんをお引き受けして、たしか日中と夜を合わせて週に13コマくらい持っていたんじゃないかな。さすがにきつくなってきて「来年度になったら楽になれる」と言い聞かせて突っ走っていたけど、既にその時点で私には「来年度」という時間は残されていなかったように思うのです。

最初の寛解導入療法で入院したとき、ちょうどTVで故・渡邉和子さまの特集をやっていて、「置かれた場所で咲きなさい」という著書の言葉どおり、「ささ、ちょっとこっちにいらっしゃい」と神様の手で教室から病室へひょいっと運ばれてきたような、そんな気がしてなりませんでした。

病気になって辛いことは確かに多いです。幸いスプリセルとは相性が良くて副作用もほとんどないのですが、化学療法はやっぱり気持ちの良いものではなかったし、骨髄移植はほんときつかった…移植後から生着するまで、痛みで自分の唾液を飲み込むこともできず、平均より生着が遅かったため再移植の恐怖に怯えてしんどい時間を過ごしました。

でも、病気になったからこそ気が付いた、なくしかけていた大切なものもあったんです。大切な家族、失いたくないのに疎遠になりかけていた友人、そのほかにもいろいろ気づかされました。あとおデブから小柄になれたし(笑)。

これからの時間は、もう優先順位を間違えないように生きていきたい。自分が何を選べばいいか、行動する前に深呼吸して判断する余裕を持っていたい。

まずは焦らず、免疫抑制剤を卒業することが目標です。

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