私は発達障害と診断された子を育てている。
初めて療育を申し込んだときに書いた書類の「障害児童」という欄を見て泣いた。
それ以来、どれほどの葛藤があっただろうか。
今なら分かる。「障害」という言葉はわが子を守る盾なのだと。他人と比べて劣っているのではなく、得意と不得意の差が激しくてとても不器用で戸惑っているのだと。周囲の人間がもっと楽に生きていることを知らないのだと。
その差を埋める一助として、この言葉があって、字面は悪いかもしれないけれど決してわが子を貶めるものではないのだ。支援を受けるための切符のようなものなのだ。ていうか最初にdisorderを障害って訳したヤツちょっと体育館の裏(略
なのによく目にする、一部だけ平仮名にした書き方。目にするだけで吐き気がするほど嫌いだ。大嫌いだ。虫唾が走るとはまさにこのことだと思っている。
なぜ違和感を覚えるのか。
おそらく、音を変えずに平仮名にすることで逆に音が強調されるから。漢字は表意文字だから。そこに、決して障害者と呼ばれることのない「健常者の優越感」「偽善」が透けて見えるからだ。
今日、このTweetを見た。松永正訓先生の優しさに涙が出る。
この回答は一生、心の額縁に入れておきたいと思う。『しょうがい者という言葉は言われた人が嫌だから言い換えよう』と投稿した9歳の子に、お返事の投稿している小児科医の松永正訓先生です。優しい文章です。 pic.twitter.com/QN4fx9xDKs— morningcoffee (@G2AhBdnmjqvMP5r) February 8, 2020
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