嵐の過ぎ去った森の中でひとりごと

こんにちは、ひららんです。

1月からずっと防衛戦を戦ってきましたが、ようやく気持ちが落ち着きつつあるような気がします。たとえるなら、ようやく嵐が過ぎ去っておそるおそるウロから顔をのぞかせたリスのような気持ち。

今回の新型コロナウイルス(COVID-19)は何かヤバいかもしれない、と知ってからもう4ヶ月ほどになるのか。その間、実家に里帰りもしたし、何なら京セラドームのライブにも行きましたが、今ふつうに病人()です。今のところわが家の家族にも身内にも、今回の感染症に罹患した者はいません。

というか知り合いで罹患したという話を聞いたことがない(現時点で)。もしかしたらいつの間にかかかって、いつの間にか治っている人はいたのかもしれないけど、そんなんマドンナやあるまいし分からへんって(笑)。

でも流行当初は怖かったです。
数年前のSARSの時、入院するのが最後のお別れで骨になって帰ってきたというニュースを覚えていたし。
自分が重症化リスク群であることから、後になって「あのときはビビりまくってたよね」と笑い話になるくらいでちょうどいいと思って過ごそうと決めました。

「今の日本は1ヶ月前の○○」「2週間前の○○」という言葉を見かけると、「そうなるとは限らないけど、なったら困るから気を付けよう」と思って、あとは静かに情報収集していた感じ。誰がどんな情報を発信するのか、興味深く見てきました。

幸いなことに在宅でできる仕事を続けながら、BCRで教わった手洗いを徹底し、できるかぎり消毒し、人混みには極力出ないよう、出るときはマスクをして、あれ~これって普通にいつもやってることだよね?などと思うこともあったりして。

エタノールも買えるうちに手に入れて、マスクも見かけたら買う→消耗品で使い捨てを作る→手縫いで布マスクを作る→ミシンで布マスクを作るとなり。しばらく編み物もお休みしていたけど、最近は毎日ミシンを踏んでいます。

おうち時間最高!!
あつ森もデビュー!!

とはいえその間、たくさんの葛藤がありました。
自分は病名を宣告された時点で1回死んだのだ、今はセカンド(ボーナス)ステージなのだと思っていたけれど、結局まだ死にたくないという気持ちが大きかったんだと思います。

命を分けてくれたドナーさん、力を尽くしてくださった医療従事者の皆さん、そして支えてくれた家族や友人のことを考えると、そしてまだ自立からは程遠い子供がいることを思うと、今ここで何やわけのわからん新しい病気にかかってアッサリ逝くわけにはいかない、と思ったんですよ。

よく考えたら移植前のインフォームドコンセントで5年生存率の話をしたというのに
移植の前後に命を落としていたかもしれないのに

まだ、死にたくない。
そう強く思っていたんだろうな。

「もし自分がこの世にいる意味があるなら、意味があるうちは自分が死にたいと思っていても死ねない」

そう思って白血病をやり過ごしてきたというのに。

自分で考えても分からないことは詳しい人の話に耳を傾け、誰にも分からないことはもう、いい意味で流れに身を任せるしかない。そんな気がします。

あれほど「これが○週間後の日本」と警告され続けてきたにもかかわらず、日本はどこの後追いもしなかった。すごいことだ。

落ち着いて俯瞰して自分のなすべきことを淡々と。
あと1日1回は笑わないとだね。ユーモア大事!

それと
転売ヤーには天罰が下りますように心から願います

マスク・エタノールから始まって果てはミシン糸や善意の無料パターンまで売りにかかるなんて許せん

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