通院日に考えたこと

ここ最近、精神的に低空飛行が続いている。と思う。

夫がコロナに感染して緊張した日々が続いたこと、対外的な行事が多かったこと、ストレスのたまる案件が重なったこと、今週も行事に追われることなど。もう週明けからクライマックスなうえ、先週の祝日のあおりで待たされまくっている。まあそれは仕方ない。

骨髄移植から5年経過して、一つの大きなゴールまでたどり着くことができた。それはとてもありがたく、まだこうして呼吸していられることに心から感謝している。

それとは別に、自分は今のままでいいのだろうかという問いが常に頭から離れない。

家族、特に上の子たちの活躍で、私は今ほとんど家事をやっていない。洗濯はいつの間にか終わっているし、毎日の食事は個食ということもあってそれぞれがマイペースに食べる。夕食も誰かが作ってくれる。

私はといえば、元気のあるときにたまに台所に立つことはあるが、仕事と編み物とスプラトゥーンに明け暮れている。いっときより仕事は減ったが、平日の夜はずっと埋まっている。土日は休むことを心がけているので、無理な依頼は受けていない。たまにどうしても振り替えの都合がつかなくなったときに切り札として使う程度だ。

自分の中には「母親が家事をするもの」という縛りがあるのだろうな。

母も義母も専業主婦だ。今は年齢なりにできることは減ってきているが、全盛期は家事の達人だった。いったいいつ座っているんだろう?と不思議になるくらいクルリクルリと立ち回っていた。

でも今、そんな母たちの姿からかけ離れている自分がいて、家族に助けられることを嬉しいと思う反面、甘やかされているのではないかと。闘病仲間の中には、毎日フルで働いたうえ家事をやっている人もいる。やはり私は甘えているのではないのか?

これから自分は何に時間を使うべきなのか。

もう、自分をしまう準備も始めていいのではないか。

いつまでも新しいことに挑戦していていいのか。

なんてことがずっと頭から離れずにいる。

正解はすぐには出ないだろうが、そんなわけでこれまでになくテンションが低い。去年の今頃は英語も日本史も勉強するのがとにかく楽しかったのに。

夫は「あれだけの病気をして、生きているだけで御の字だから、いてくれるだけでいい」と言ってくれる。本当にありがたい。

でも、それに甘えるだけではいけないと思う。定型の人よりも自立が遅めの子供たちのためにも、体は動かなくても司令塔として機能できるようになっておきたいし、できれば体も動くといい。

贅沢な悩みだろうか。

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