しばらくSNSと距離を置こうと思う

 ここ1週間ばかり、仕事以外の時間、お菓子づくりとパンづくりと読書三昧だった。編み物は娘の靴下の履き口が間もなく編み上がり完成間近である(私はつま先から編む派)。

 骨髄移植から5年が経過し、5回目のセカンドバースデーを迎えた翌月、戸籍上の誕生日も無事迎えることができた。Facebookにアカウントを作った際、自分の誕生日を登録しそれを公開する設定にしていたので、もうずっと誕生日には知人友人からお祝いのメッセージが届き、感謝とともにコメントし、相手の誕生日を見落とさないよう小まめにチェックし、当日にはお祝いメッセージを送り……それでも見落としてしまうタイミングもあり、同じ同級生でありながら伝えることができた相手とそうでない相手が必ずできてしまった。この一文超長いな。

 そして、そんな毎日に疲れてしまったのだ。

 本当に誕生日を祝いたい相手であれば、こちらから申告しなくても、SNSのシステムからお知らせされなくても、覚えていたり言及したりする、それが本当の「祝う心」なのではないか?

 通知をオフにして初めての誕生日、お祝いのメッセージを当日送ってくれたのは2人の妹たちだけだった。見事な結果だった(もちろん遅ればせながらのメッセージは皆無だ)。

 この事実を確認するのが若干怖くもあったので、当日とその後しばらくはすべてのSNSをオフにしていた。フタを開けて結果が見えたことで、残念ではあったけれど割り切る心境になれた気もする。きっとみんなも毎日忙しいのだ。

 闘病中、SNSの存在には本当に救われた。あの場所で交流できなかったら、私の闘病生活はもっとつらくてしんどいものになっていただろう。私の言葉がきっかけで移植に前向きになってくれた方もいらっしゃるという。今こうして5年経過して、ひ弱ながらも日常生活を送ることができている。この事実も、これから移植をされる人に希望になるかもしれない。とても嬉しいことで、もったいないかぎりである。

 だが、最近SNSを見つめる自分の中に、毎日小さな焦りや苛立ちや怒り、そういった小さな心のざわめきが大きくなってくるのを感じていた。在宅仕事だから、それこそ起きている時間をすべて費やすこともできた。それがなかったらできたことを思うと、このままではあまりよくないのではないかと思う気持ちが強くなった。

 LINEをやめたときは思い切りよくアカウントを削除した。その後、仕事や学校関係で仕方なくアカウントを作り直したが、サブ端末で普段は家に置きっぱなしなのでほとんど見ない。
 今回は各種アカウントは削除しないでおこうと思う。ROMとして再開することもあるだろう。

 つながりのある人を切り捨てたいのではなく、情報の渦に呑まれてしまう自分を自衛するために距離を置いてみる。

 というわけでしばらくおとなしくなると思いますが思うことなどはブログで時々書けたらな。そんなスタンスでまいります。

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